1月 31 2010

勉強し続けるということ

Published by at 16:21:56 under 救急

今日、小松秀樹氏の「医療崩壊-「立ち去り型サボタージュ」とは何か」を読んでいて、自分の不勉強を思い知りました。

小松氏は、慈恵医大青戸病院事件(腹腔鏡下前立腺全摘除術の際に輸血の遅れによると思われるショックで患者が死亡した)に関して、緊急時にはO型の赤血球濃厚液を交差試験なしに輸血できる(この患者はAB型だった)ことを病院が周知徹底していなかったことを問題視していました。担当の麻酔科医も思いつかなかったのはおかしい、とも。

私も昔習ったのですが、とっさの事態に思い出して実行できるほどの知識として身に付いてはいないと感じました。

研修医時代に麻酔科をまわっていたとき、AB型の患者の手術で大出血をしてAB型の追加の輸血がなかなか届かなくて大変な思いをしたことを思い出しました。幸いその患者さんは死亡には至りませんでしたが、かなりぎりぎりのところだったと思います。そのときもO型輸血は思いつきませんでした。たぶんその場にいたほかの医師も思いつかなかったと思います。後日のカンファランスで他の医師からO型輸血のことを指摘されましたが、あとになって冷静な状況ではなんとでも言えます。

知り合いの麻酔科医に聞いてみました。さすがに、O型輸血のことは知ってはいるけどできればやりたくない(そんな修羅場手術にはなってほしくない)という返事でした。

修羅場はくぐりたくないけれど、修羅場でどう対処するかということは常に勉強しておかなければなりません。そして、それがとっさの場面で生かされるのかどうか・・・現場は厳しいです。パニックになった頭から知識を引き出せるのかどうか・・・自信を持ってYESと答えられないのがつらいところです。そういう修羅場には近づかないようにしよう、という消極的な判断が働くのが現実かもしれません。

No responses yet

Trackback URI | Comments RSS

コメントを残す